人は物語形式でものを考えがちであります。
物語形式とはAをしたらBになるという因果関係を表したものです。
因果関係はわかりやすく、腑に落ちやすいです
なので、全ての事象を分かった気になるために、因果関係を求めてしまう習性があります。
統計的事実と現実
統計的事実と現実の違いを理解しないといけません。
「ワクチンを打てば、病気にかかりにくくなる」
これは統計的事実です。反論することもできません。
「私はワクチンを打っても、病気になった。」
これは、現実です。あなた一人の事象です。
ここで、私はワクチンを打っても病気になったから、ワクチンは意味がない
このように結論づけるのは間違っています。
99%の確率で当たるというものがあっても、1%が外れるのです。
1%が身近に存在したからといって、99%は当たるという統計的事実を否定することはできません。
曖昧さに耐える力
無理やり因果を決めつけてしまう人は
曖昧さに耐える力を鍛えなければなりません。
少し昔の話をしましょう
昔は、天気は神様に気分で変わっていると真剣に考えられていました。
雨が降らないのは、神様が怒っているからだ、だから生贄をささげよう。雨ごいをしようと考え、実際に行動していたわけです。
曖昧さに耐える力とは
雨が降ったり天気になったりの原因はわからないが
雨が降ったり降らなかったりする。
生贄をささげた結果で雨がふるように見えることもあったが、降らないこともあった。
今の自分では理解できないから、考えるのをやめよう
こういった原因がわからないものを分からないと放置しておく力。
この天気の配置図になったら、必ず雨がふるに違いない
けれど、実際には、雨が降ることもあるし、降らないこともある。
原因と結果を、必ず一致すると決めつけない力。
この二つが、曖昧さに耐える力です
この力がなければ、無駄に生贄として多くの人たちを殺したことでしょう。
もし、必ず雨が降ると決めつけていたならば、天気予報をしている人は嘘つきだと断定し、無駄になった傘を疎ましく思い、自分の機嫌が悪くなるでしょう。
全てに因果を求めるのは不安だから
全てのことに因果を求めてしまうのは、不安を消したいからです。
もし、何もないのに急に家鳴りがしたらどうでしょう?
理由はわからないけど、そういうこともあるわな。で済ませらるでしょうか?
・屋根裏に猫がいるのからだ。
・家が老朽化して、悲鳴をあげているからだ。
・幽霊の仕業だ
と、何らかの理由を決めつけていませんか?
別に、間違った思考ではありません。
そうでもしないと、人間は不安に耐えられないからです。
雷は天罰だと信じなければ、雷の恐怖に抗えなかったのです。
まとめ
人間は、不安から因果を求めるあまり、因果を絶対的なものとして考えてしまいます。
しかし、それは認知の歪みを生み、正確に世界を見渡すことができなくなります。
